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千葉地方裁判所 昭和42年(ワ)46号 判決 1968年6月28日

原告 村本建設株式会社

右代表者代表取締役 村本豊嗣

右訴訟代理人弁護士 大橋弘利

被告 林武宗

右訴訟代理人弁護士 井上文男

主文

被告より原告に対する原告と訴外三栄ビル株式会社間の千葉地方裁判所昭和四一年(ワ)第一四九号求償債権請求事件の和解調書に基づく強制執行を許さない。

訴訟費用は被告の負担とする。

本件について千葉地方裁判所が昭和四二年二月一日にした強制執行停止決定を認可する。

この判決は前項にかぎり仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求め、その請求原因として

一、原告と訴外三栄ビル株式会社(以下訴外会社という)間の千葉地方裁判所昭和四一年(ワ)第一四九号求償債権請求事件において昭和四一年九月一四日つぎのような条項などを内容とする訴訟上の和解が成立し、和解調書(以下本件和解調書という)が作成された。

(1)、訴外会社は原告に対し同月二〇日かぎり原告所有の千葉市富士見町二三五番地の二八所在家屋番号二三五番の二八の建物から退去してこれを明渡す。

(2)、訴外会社が右のとおり建物を明渡したときは、原告は訴外会社に対し立退料(以下本件立退料という)として金五二五万円を、同月二一日かぎり金一七五万円、同年一〇月から昭和四二年二月まで毎月二一日かぎり各金七〇万円を分割して支払う。

二、被告は昭和四二年一月一八日訴外会社の原告に対する本件立退料債権の承継人であるとして本件和解調書について承継執行文の付与を受け、そのころその承継執行文謄本が原告に送達された。

三、ところで、原告は訴外会社に対しつぎのとおり本件立退料を全部弁済した。

(1)、昭和四一年九月二一日 金一七五万円

(2)、同年一〇月二一日 金七〇万円

これは訴外会社が千葉県に対し公租公課を滞納して同県から本件立退料債権の差押を受けたので、原告が訴外会社のために差押を受けたものの一部を同県に対し支払ったことにより訴外会社に対する関係においても支払ずみとなったものである。

(3)、同年一一月五日 金二八〇万円

これは原告が同日訴外会社に対し金額を各金七〇万円とし、満期をそれぞれ(イ)同月二一日、(ロ)同年一二月二一日、(ハ)昭和四二年一月二一日、(ニ)同年二月二一日とする約束手形四通(以下本件約束手形四通またはそれぞれ本件(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の約束手形という)を本件立退料の残額金二八〇万円の支払に代えて振出し交付したことにより支払ずみとなったものである。すなわち、訴外会社は当時経済的に苦境にあったところ、右(2)のように本件立退料債権が千葉県から差押を受け、原告の支払によってようやく差押の解除を得たことなどにかんがみ、原告に対し本件立退料残額の債務を消滅させるために約束手形を振出し交付してくれるよう懇請したので、原告はこれを承諾し、本件立退料残額の債務を消滅させることを特別に合意して本件約束手形四通を訴外会社に対し振出し交付したものである。つまり、本件約束手形四通の振出交付は本件立退料残額の代物弁済にあたるかまたは更改にあたるものというべきであるから、本件立退料残額の債務はこれにより消滅したことになる。

(4)、仮に本件約束手形四通が本件立退料残額の支払に代えて振出し交付されたものでないとしても、原告は本件約束手形四通の各手形金を各満期に支払ったから、これによりその原因関係にあたる本件立退料残額の債務は消滅したものというべきである。

四、よって、原告は被告に対し本件和解調書を債務名義とする強制執行の排除を求めるため本訴請求に及んだ。

≪以下事実省略≫

理由

一、原告と訴外会社との間において原告主張のころ原告主張の条項を内容とする訴訟上の和解が成立し、本件和解調書が作成されたことおよび被告が原告主張のころ本件和解調書について承継執行文の付与を受け、その承継執行文謄本が原告主張のころ原告に送達されたことは当事者間に争いがない。

二、そこで、原告主張の本件立退料の弁済の点について判断する。

(1)、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四一年九月二一日訴外会社に対し本件和解調書に基づく本件立退料の一部として金一七五万円を弁護士長戸路政行法律事務所に持参し同弁護士を通じて支払ったことを認めることができる。

(2)、また、≪証拠省略≫によれば、千葉県は同年一〇月二一日原告を債務者として、滞納者(債権者)訴外会社が同県に対して滞納していた不動産取得税など合計金四五五万六三〇〇円を徴収するため、本件和解調書に基づき訴外会社が原告から受けとるべき同年一〇月から昭和四二年二月までの五ヶ月にわたる毎月二一日かぎり各金七〇万円の本件立退料残額債権を差押えたことを認めることができ、≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四一年一〇月二一日右差押による納入義務者として千葉県に対し本件立退料の一部である金七〇万円を納入したことを認めることができる。右の事実によれば、原告は千葉県に対し訴外会社の滞納金の一部として訴外会社のため本件立退料のうちの金七〇万円を納入したのであるから、このことにより原告は訴外会社に対し本件立退料の一部として金七〇万円を支払ったものとみることができる。

(3)、つぎに、原告が昭和四一年一一月五日訴外会社に対し金額を各金七〇万円とする本件約束手形四通を振出し交付したことは当事者間に争いがない。ところで、原因関係上生じている既存債務を決済するために手形の授受がなされた場合には、原則としてはそれによって既存の債権債務が当然に消滅することはなく、既存の債権と手形上の権利とがともに並存するものとみるのが相当であり、特別の合意がある場合にかぎって手形の授受により既存の債権債務が消滅するものとみるのが相当である、といわれている。

まず、本件約束手形四通が振出し交付された経緯についてみてみるのに、≪証拠省略≫によれば、千葉県は昭和四一年一〇月二九日原告に対しさきに差押をなしていた本件和解調書に基づく本件立退料残額の債権の差押を解除したことを認めることができ、≪証拠省略≫によれば、本件和解調書の和解条項には、原告は訴外会社に対し本件立退料を原告主張のように分割し、これを訴外会社代理人の前記長戸路法律事務所に持参するかまたは送金して支払うこと、原告がその割賦金の支払を一回でも怠ったときは原告は期限の利益を失い、訴外会社に対しその残額に金一〇〇万円を付加して一時に支払うこと、と定められていることを認めることができる。≪証拠省略≫によれば、本件立退料残額債権の差押が解除されてまもなく訴外会社代表者代表取締役訴外渡辺幸作は原告の東京支店に赴き、原告の東京支店常務取締役植崎茂樹に対し訴外会社が経済的に困窮していて、訴外会社の債権者らに早急に支払をなすべきものがあるうえ、本件立退料残額債権を本件和解調書のままにしておくといつまた訴外会社の債権者からこれを差し押えられるかも知れないし、そうなっては折角取得した本件立退料の残額を自己の掌中に収め得ないことになってしまうおそれがあるので、一刻でも早くしかも確実に本件立退料の残額を現金で手に入れられるようにするため、この残額を本件和解調書の和解条項に従って支払を受ける代りに原告からこの残額に見合う約束手形を振出してもらって本件立退料関係を決済することにしたいからこれに協力して欲しいと申し入れたこと、原告の常務取締役植崎は訴外会社からの右の申し出が本件立退料残額の支払方法の変更を求めるものであるので原告の代表取締役と相談したうえ訴外会社の右の申し出に応ずることにしたこと、そして本件立退料の残額の支払期日に合わせて各満期を定めた本件約束手形四通が原告の東京支店から訴外会社に対し振出し交付されたこと、その際訴外会社から原告の東京支店に対して手交された本件約束手形四通の領収証には本件約束手形四通は本件和解調書の和解条項に基づく本件立退料の「支払として受領しました(全額完了)」と記載されていること、また当時訴外会社も原告の東京支店も原告の資産、営業内容などからみて本件約束手形四通が間違いなく各満期に決済されるものと信じていたこと、当時訴外会社と原告の東京支店の各関係者の間には本件和解調書の和解条項に定められていた原告の負担にかかる過怠約款、違約金の支払条項が本件約束手形四通の振出交付により失効して消滅するのかあるいはなお有効に存続するのかの点について何ら話し合いがなされなかったことを認めることができ、右認定を左右するにたりる証拠はない。ついで、その後の事情についてみてみるのに、≪証拠省略≫によれば、訴外会社は昭和四一年一一月五日原告から原告の東京支店専務取締役村本昌亮振出名義の本件約束手形四通の交付を受けると、同月一五日本件約束手形四通を当時いずれも訴外会社の役員であった訴外吉田敬次郎、同富山義雄、同和田茂、同小口政造の四名にそれぞれ一通ずつ裏書交付し、右四名は同日いずれも訴外株式会社千葉銀行に各一通を裏書譲渡してその割引を受け、もって訴外会社は同日これにより本件約束手形四通の割引きされた手形金を入手したこと、訴外会社代表者訴外渡辺幸作は昭和四二年一月二五日原告東京支店の常務取締役植崎茂樹の求めにより同人に対し念書のような書面を差し入れたが、その書面は訴外渡辺が右植崎の起草した文案を同人に指示して加除訂正してもらったうえこれに署名して作成されたものであって、それには本件約束手形四通の受領によって本件和解調書に基づく債権は完済されたのでその際全額完了の旨の領収書を交付した旨の記載があることを認めることができる。

そこで、右に認定した事実を総合して判断するのに、本件和解調書の和解条項には原告が本件立退料の分割払を一回でも怠ったときは期限の利益を失い、訴外会社に対しその残額と違約金一〇〇万円とを一時に支払うべき旨の条項があるので、本件約束手形四通の振出交付によって本件和解調書に基づく本件立退料の残額債権を消滅させる趣旨の合意があったとするならばこの過怠約款、違約金請求権の帰すうについてその際何らかの話し合いがなされるべき筋合であったといえないわけではないけれども、訴外会社と原告との間では誰もが本件約束手形四通は間違いなく各満期に決済されるものと信じていたのであって、これが不渡りになるなどとは全く予想していなかったのであるから、その際この過怠約款、違約金請求権の帰すうについて誰も考えを及ぼさなかったからといって何ら不思議なことではなく、したがって、この話し合いのなかったことをもって本件約束手形四通が本件立退料残額の支払に代えて振出し交付されたものであると認定するのに妨げになると解するのは相当でない。また、本件立退料の支払方法は分割払で、訴外会社代理人の弁護士を通じて訴外会社に対し支払われるようになっていたもので、原告がこれによる支払を怠ったりして訴外会社に迷惑を及ぼすようなおそれがあったものとは思われないし、しかも本件立退料残額の債権が確定判決と同一の効力を有する和解調書に基づくものであって、これにより強制執行をするならば確実に債権を実現できる見込は十分にあったのであるから、訴外会社がこの本件立退料残額の支払を確保するために原告から本件約束手形四通の振出交付を受けておく必要は格別になかったものとみるのが相当であり、同様の理由で本件約束手形四通が本件立退料残額の取立のためにあるいは支払の方法として、つまり支払のために授受されたものとみるべき根拠は乏しい。そして、訴外会社にとってみれば折角取得した本件立退料債権をさきに不動産取得税などの滞納のため千葉県から差し押えられ、ようやくこれを解除してもらったことにかんがみ、昭和四二年二月二一日までにわたって支払を受けることになっている本件立退料残額の債権を本件和解調書の和解条項に定められたとおりの方法で支払を受けることにしておくならばその間に再び債権者からこの本件立退料残額の債権を差し押えられてしまうであろうということがたやすく予想されていたし、また、債権者に対する支払をするため早急に現金を入手したい状況にあったのであるから、訴外会社が原告に対しその支払方法の変更を求め、これを本件約束手形四通で直ちに支払ってもらいたいと懇請するのはみやすい道理である。本件約束手形四通が授受された際本件立退料全額の支払が完了した旨の領収証が授受されていることからみても、訴外会社と原告との間には本件約束手形四通の授受により本件和解調書に基づく本件立退料の支払関係を一切清算し、以後は本件約束手形四通の手形金の決済によって債権債務関係を処理することにするとの合意があったものとみるのが相当である。してみれば、本件立退料残額の債務は本件約束手形四通の振出交付により代物弁済されて消滅したものというべきである。なお、≪証拠省略≫によれば、訴外会社代表者訴外渡辺幸作は昭和四二年三月二日被告方の従業員から本件約束手形四通の振出交付を受けた趣旨について釈明を求められ、その際本件約束手形四通を代物弁済の趣旨で受け取ったものではない旨述べ、その旨を記載した念書を被告に差し入れたことを認めることができるけれども、右念書は訴外渡辺幸作がさきに原告に対して差し入れた書面の趣旨と符合しないものであり、かつ、訴外渡辺個人の法律的見解を述べたものにすぎないのであるから、これをもって本件約束手形四通の振出交付を代物弁済とみることの妨げになると解することはできない。

したがって、原告は訴外会社に対し本件約束手形四通を振出し交付したことにより本件立退料の残額を全部支払ったものということができる。

三、被告が被告主張のころ原告に対し訴外会社の原告に対する本件和解調書に基づく本件立退料債権について差押をしたことは当事者間に争いがないけれども、右差押は本件立退料債権がすでに消滅した後になされたものであることが明らかであるから、被告の抗弁は理由がない。

四、以上のとおり、本件和解調書に基づく原告の本件立退料支払債務は昭和四一年一一月五日全部消滅したのであるから、本件和解調書について承継執行文の付与を受けている被告に対し本件和解調書に基づく強制執行の排除を求める原告の本訴請求は理由がある。

五、よって、原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、強制執行停止決定の認可およびその仮執行の宣言について同法第五六〇条、第五四八条第一項、第二項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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